相馬妙見三社 相馬小髙神社

はまどおり

相馬妙見社である相馬小高神社です。

アクセス

住所:福島県南相馬市小高区小高字古城13

常磐自動車道南相馬インターから車で25分です。

駐車場があり砂利になって停めることができます。

御朱印の紹介!

御朱印を書置きでいただきました。ここもまた由緒ある神社です。

500円になります。相馬妙見三社のひとつ。相馬や浜通りに来たらぜひ参拝したい神社ですね。今回私は初めて来ることができました。

実際参拝してみましたがとても手入れされており、境内はきれいでした。社務所は新しく感じました。雨の中の参拝で、人はおりませんでしたが、立派な社殿を持つ神社ですね。


相馬小髙神社とは

社伝によると垣武天皇の玄孫であり千葉氏の祖となった平良文たちが苦戦に陥った時、童子の姿をしたアメノミナカヌシが味方し勝利に導いたとされます。

それ以来、千葉氏および相馬氏の守護神として崇敬されました。

そして、奥州相馬氏の祖である相馬孫五郎重胤が行方郡の小髙に下向して小髙孫五郎重胤を名乗り小髙城を築き、その鎮護として妙見を移したのがこの神社の始まりです。



相馬の歴史は以下の通りです。

承平年中(931年 – 937年)に平将門の子孫、相馬氏が下総国猿島郡守屋城に妙見社を創建したことに始まります。

相馬師常が源頼朝の軍にて、奥州藤原氏との合戦での功績により、奥州行方郡の地を同族の千葉氏から相馬を継ぎ、奥州相馬の初代となりました。初代相馬氏から数えて17代目となる相馬重胤が、現在の千葉県からこの奥州へ下向しました。

その後、相馬孫五郎重胤公がこの地へ移り住み、現在の南相馬市へ居を構えました。以降、鎌倉から江戸と永く同一地域を治める奥州相馬氏の歴史が始まります。

そしてこの神社を創建しました。相馬市の名前の源流である相馬氏は、源頼朝から奥州合戦の功績により、現在の相双地域を領地として授かりました。そのあとは伊達氏など、領地が隣であったことから奥州相馬氏と対立や和解を繰り返しました。

関ケ原の戦いにて中立を取ったことで徳川から不参戦をとがめられ職を没収されてもその後取り戻し、2度の飢饉が襲っても守り続けます。

戊辰戦争の戦禍のなかで新政府軍と戦います。相馬野馬追は規模を小さくしながらも続けられます。明治維新になり領主でなくなり「相馬野馬追」も消滅の危機でしたが、相馬妙見三社の一つである、相馬太田神社の神事にて続いていきます。このような中で相馬太田神社も相馬野馬追も消滅の危機に瀕しながらも存続を続けています。

現代では東日本大震災に遭い浜通りもまた被害を受けました。しかし現在は復興もしていってます。

このようにさまざまなことがありましたが、歴史に残る神社として現在も親しまれています。


今回は雨でしたが雨の神社もまた風情がありますね。

今回はここまで!


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