相馬妙見三社の一つ相馬中村神社を紹介していきたいと思います!
アクセス
住所:福島県相馬市中村北町140
駐車場は有ります。
大きな道路から駐車場に入れますのでアクセスはよいです。
常磐自動車道相馬インターから車で10分以内です。
御朱印の紹介!
御朱印もいただくことができ社務所にて500円でした!
階段下の社務所にていただくことができます。
アメノミナカヌシ神とかっこよく書いてあり、馬の印が印象的ですね!

由緒
福島の伝統的な祭りである相馬野馬追が有名な相馬の地。相馬妙見三社の一つが相馬妙見中村神社です。
ご祭神はアメノミナカヌシ。天地開闢の最初の神様ですね。
神社の始まりは相馬家の先祖平将門が関東で妙見社を創建し戦勝祈願したところに始まり、平将門の子孫、相馬氏が妙見社を大田、小高、中村と移されて現在の相馬中村神社があります。
相馬の歴史は以下の通りです。
承平年中(931年 – 937年)に平将門の子孫、相馬氏が下総国猿島郡守屋城に妙見社を創建したことに始まります。
相馬師常が源頼朝の軍にて、奥州藤原氏との合戦での功績により、奥州行方郡の地を同族の千葉氏から相馬を継ぎ、奥州相馬の初代となりました。初代相馬氏から数えて17代目となる相馬重胤が、現在の千葉県からこの奥州へ下向しました。
その後、相馬孫五郎重胤公がこの地へ移り住み、現在の南相馬市へ居を構えました。以降、鎌倉から江戸と永く同一地域を治める奥州相馬氏の歴史が始まります。
そしてこの神社を創建しました。相馬市の名前の源流である相馬氏は、源頼朝から奥州合戦の功績により、現在の相双地域を領地として授かりました。そのあとは伊達氏など、領地が隣であったことから奥州相馬氏と対立や和解を繰り返しました。
関ケ原の戦いにて中立を取ったことで徳川から不参戦をとがめられ職を没収されてもその後取り戻し、2度の飢饉が襲っても守り続けます。
戊辰戦争の戦禍のなかで新政府軍と戦います。相馬野馬追は規模を小さくしながらも続けられます。明治維新になり領主でなくなり「相馬野馬追」も消滅の危機でしたが、この相馬太田神社の神事にて続いていきます。このような中で相馬太田神社も相馬野馬追も消滅の危機に瀕しながらも存続を続けています。
現代では東日本大震災に遭い浜通りもまた被害を受けました。しかし現在は復興もしていってます。
このようにさまざまなことがありましたが、歴史に残る神社として現在も親しまれています。

相馬野馬追とは
平将門の軍事訓練で、野山の馬を妙見社に奉納するための意味がありました。
現在は騎馬武者が神旗を争奪戦する武勲と馬術を競う祭りとなりました。
1日目はお繰り出しの儀式。妙見三社にて供奉する騎馬武者が神輿を守護し原町の雲雀ヶ原を目指します。そのための総大将お迎えを行い、雲雀ヶ原で宵乗り競馬を行います。
2日目はお行列、雲雀ヶ原へ進軍。約400騎の騎馬武者が居並ぶ壮観。
そして、雲雀ヶ原にて甲冑競馬と神旗争奪戦が行われる。
3日目は相馬小高神社で野馬懸という白鉢巻に白装束をつけた御小人たちが、荒駒を素手で捕らえ神前に奉納するという神事が行われる。
このような一連の行事が相馬野馬追で重要無形文化財です。
参拝してみて、
歴史ある野馬追が行われる神社ですが、普段は静かな雰囲気があり、
階段を登ると社殿が迎えてくれます。雨の日だったので落ちついて参拝できました。

今回筆者は相馬野馬追を見ることはできませんでしたが今度は行きたいと思います。


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