相馬妙見三社 相馬太田神社

はまどおり

相馬妙見三社の一つで、相馬小髙神社とおなじ南相馬市にある相馬太田神社です。

アクセス

住所:福島県南相馬市原町区中太田字館腰143

駐車場は有ります。

私は近くに公民館がありそこに停めました。アクセスとしては舗装されています。田んぼの真ん中にあり大きな道路から入れるというわけではありませんが、県道120号から曲がったところにあります。

開けているので車の通行などは分かりやすいです。

御朱印の紹介!


御朱印もいただくことができ、500円です。

直書きしてもらいました!

相馬妙見三社の一つとして立派な字体ですね!馬の紋様が描かれておりかっこいいです。

由緒

承平年中(931年 – 937年)に平将門の子孫、相馬氏が下総国猿島郡守屋城に妙見社を創建したことに始まります。

相馬師常が源頼朝の軍にて、奥州藤原氏との合戦での功績により、奥州行方郡の地を同族の千葉氏から相馬を継ぎ、奥州相馬の初代となりました。初代相馬氏から数えて17代目となる相馬重胤が、現在の千葉県からこの奥州へ下向しました。

その後、相馬孫五郎重胤公がこの地へ移り住み、現在の南相馬市へ居を構えました。以降、鎌倉から江戸と永く同一地域を治める奥州相馬氏の歴史が始まります。

そしてこの神社を創建しました。相馬市の名前の源流である相馬氏は、源頼朝から奥州合戦の功績により、現在の相双地域を領地として授かりました。そのあとは伊達氏など、領地が隣であったことから奥州相馬氏と対立や和解を繰り返しました。

関ケ原の戦いにて中立を取ったことで徳川から不参戦をとがめられ職を没収されてもその後取り戻し、2度の飢饉が襲っても守り続けます。

戊辰戦争の戦禍のなかで新政府軍と戦います。相馬野馬追は規模を小さくしながらも続けられます。明治維新になり領主でなくなり「相馬野馬追」も消滅の危機でしたが、この相馬太田神社の神事にて続いていきます。このような中で相馬太田神社も相馬野馬追も消滅の危機に瀕しながらも存続を続けています。

現代では東日本大震災に遭い浜通りもまた被害を受けました。しかし現在は復興もしていってます。

このようにさまざまなことがありましたが、歴史に残る神社として現在も親しまれています。

参拝してみて

そんな由緒を持つ神社です。雨の日でとても空気に癒されます。

階段を上っていくと社殿に行くことができます。



静かに祈りを捧げることができました。

今回はここまでです!また旅の記録を初会していきたいと思います!

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