二本松少年隊と白虎隊

まめちしき



①戊辰戦争とは

戊辰戦争(1868〜1869年)は、教科書でも習う、江戸幕府を中心とする旧体制と、明治新政府を樹立しようとする勢力との間で起きた内戦です。

戦いは京都の鳥羽・伏見から始まり、東日本、そして北へと広がっていき、最後は函館へとまさに日本全体の戦いでした。



②白虎隊
戊辰戦争の戦禍の中、壮絶な戦いをしたのは会津白虎隊が有名です。

京都から始まった反政府軍と新政府軍の戦いは関東からついに東北地方まで移ります。

奥羽越列藩が5月に反政府軍同盟を結び、仙台藩を盟主に据えましたが、会津・庄内・長岡藩が抗戦の主力となりました。

反政府軍と征討軍との交戦は各地でおこなわれたが、9月に会津が落城したことにより急速に進んでいきます。

会津若松城は20日にも及び、城は落城していきます。

会津では白虎(16~17歳),朱雀(18~35歳),青竜(36~49歳),玄武(50歳以上)の4隊に分けられました。

会津藩の少年からなる「白虎隊」は、飯盛山で会津若松城(鶴ヶ城)が燃えているの見て、落城したものと判断し、その場で自刃しました。

この話は戊辰戦争の悲話として後世に語り継がれています。

そして会津落城後、戦いは北海道の箱館戦争に移ります。

このような内容が白虎隊の物語でした。



③二本松少年隊

戊辰戦争では会津が激しく戦いましたが、福島県の入り口である白河口の戦い、中心地の二本松でも戦いはありました。

その中でも二本松少年隊もまた悲劇の中にありました。

二本松少年隊は少年隊隊長の木村銃太郎、副隊長の二階堂衛守を筆頭とする、22歳から12歳による25人の銃隊です。


戊辰戦争への出陣は数え14歳未満ではできないとされていましたがなぜ12歳の子供もいるのでしょうか。

二本松藩には危急の際には年齢を2歳加算する入れ年(実年齢より高い年齢として出兵の許可を出す)という独自の制度があり、隊士の最年少は12歳となりました。

二本松の戦いにおいて、藩の兵力合わせても約1千人、それに対して薩摩・長州・土佐などの西軍は約7千人となり、戦いの末、1868年(慶応4・明治元年)7月29日、ついに二本松城は落城します。

負傷者の数は記録によって違いがありますが、二本松藩の戦死者337人・負傷者71人にものぼります。

 旧二本松藩主丹羽家菩提所である。大隣寺には戊辰戦争殉難者の戦死群霊塔とともに、二本松少年隊隊長の木村銃太郎、副隊長の二階堂衛守と、少年隊戦死者14人の供養塔が建立されています。


④終わりに

白虎隊も二本松少年隊も10代の子供たちが、信義のために貫いた戦いで、壮絶な最期でした。

時代の流れと共にこの少年隊の想いや戦いを忘れないでいきたいものです。



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